ひなたの雑記帳

最近はセカンドライフで遊んでいます

「わたし」と「ひなた」の距離

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セカンドライフ非技術系 Advent Calendar 2017」の投稿記事です

わたしにとってはじめてのアバターは、2004年にカプコンから発売されたPlayStation2用ハンティングアクションゲーム MonsterHunter(MH)のプレイヤーキャラクター(ハンター)として生まれた「HINATA」でした。そう、はじめから「ひなた」だったんです。

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その後、リアル事情でMHを休止していた2007年にちょうど話題になっていた Secondlife(SL)を1ヵ月半ぐらいやりました。いまのSLのアバターはそのときに生まれたものです。SLの名前の hinataMH の MH はモンハン出身ですよ、という意味でつけたものです。

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実は今使っているアバターのスキン(顔などのグラフィック)は2007年にSLの中でお金をためて買ったもの、シェイプ(体格など)は自作したものです。それをいまでも後生大事に使い続けています。

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それから10年経ったいまでは技術の発達がすごくて、BENTOヘッドだとか、メッシュボディとかですごい美人・ナイスバディになることができるようになりました。でも、わたしはそれを使おうとはあまり思わないのです。顔や体つきを変えると別人になってしまう気がして。。

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MHとSL、まったく違う世界ですが、共通していることはアバターを中の人のわたしが操作して動かしている。わたしはそのアバターの動きを見て楽しんでいる、ということです。

アバターは「自分だ意識」が薄くて「ただ操作しているキャラクター」だという意識しかない人もいると思います。アバターなんてただの3DCGでしかないので、それが自分なわけはないのですが・・

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わたしには、画面の中の「MHのひなた」も「SLのひなた」も「この子はわたしだ」という意識があります。それと同時にちょっと離れたところから見守って、愛でている感もあります。中の人の「わたし」と完全に合体してるわけじゃない。。

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わたしがこういうアバターゲームが好きなのは、美人じゃないけれど愛すべきわたしの分身が活躍するところを「見守って、愛でることができる」からじゃないのかな、なんて思ったりします。

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いま話題になっているVR。私の乏しい経験だと、自分のアバターは見えませんよね?見えても手だけとか?それでは、没入感は凄くてもアバターを愛でることはできないんじゃないでしょうか。

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これからもMHとSL、2つの世界で「わたしだけど、わたしじゃない、この子」と、ちょうどよい距離を保ちながら楽しんでいけたらと思っています^^